2010年11月30日火曜日

銀杏(いちょう)その2

   11月24日、  絶好の 行楽日和。
   中学校時代の恩師 お二方と 友人の四人連れで、 ” 国東紅葉めぐり ”。
   宇佐駅より 観光タクシーで 「 西 叡 山 高 山 寺 ~ 真 木 大 堂 ~
   富 貴 寺 ~ 両 子 寺 」 の  コースだ。
   青い空に  コナラ、 クヌギの  茶、 イチョウ、 ケヤキの  黄
   カエデ、イロハモミジの  赤、 と 常緑樹の  緑が、 美しいハーモニーを
   奏でている。  あまりの 素晴らしさに  ハイテンション。
   すっかり  童心に返って  はしゃいだ、  楽しい一日。

   「 西 叡 山 高 山 寺 ( たかやまでら) 」
   その昔、 六郷満山の 寺院統括(天台宗)していて、 七堂伽藍 四十五坊で、
   栄華を極めた? とされる。 
   今は  西叡山八合目に 富貴寺の 宝形造りを 模した 屋根の  
   新高山寺が、  建立されている。
   広い境内は  ” 気 ” の 満ちる  聖なる場  と される。
   正面に 両子寺など 一千年の歴史を 残す 六郷満山の、 錦織りなす
   美しい 山々が 一望でき、 左手には  周防灘が  広がっている。
   ここに立つ ご縁に 恵まれたことを  感謝し、  辞す。
   
   昼食は 富貴寺 傍の 「 蕗の董 」。 精進懐石 プラス 新ソバだ。
   素材に こだわり、 見た目、 お味、 雰囲気、 三拍子揃って、 大満足。

   紅葉巡りの 圧巻は、  国 宝 富 貴 寺 境内の  二本の  大銀杏。
   阿 弥 陀 堂を  お守りすべく、  黄金の 甲冑を   身にまとい、
   天空高く  そびえたつ。
   なんの 惜しげもなく   燦然たる さまを  さらしている、 その姿に
   ” 大 銀 杏  そのものが、 慈愛に 満ちた 阿弥陀様 ・ ・ ・
   ではなかろうか ”  との  想いが、  ふと  よぎる。

   素敵な 時間を 共有出来た 幸せを 胸に、 家路に つく。

   補足:  国宝 大堂は、 西国唯一の 阿弥陀堂であり、 九州最古の
         和様建築物です。  また、 大堂のある  蓮華山 富貴寺は
         西叡山 高山寺  末寺の 一つです。

   ( 偶然にも 24日、 いつもお世話に なっている ゆふいん玉露米の
     yossann が、 富貴寺の 撮影に 訪れていました。
     素晴らしい 黄葉 、紅葉を  お楽しみ ください 。 2010.11.24  ) 
        http://e-yossann.blog.so-net.ne.jp/
   
    * 富貴寺の 紅葉の 画像 が  2010.12.01  にも 掲載されています。
      ぜひ ご覧くださいませ。
     

銀杏(いちょう) その1


   銀杏の葉は  神秘的な 扇形。

   秋になると   黄緑の葉は  ゆっくりと  黄色へ、

   そして  山吹色へと   染めていく。

   全身が 染め上がった時は、  眩しいばかりの  黄金色。

   朝日に、夕陽に、 照り輝く  銀杏の樹々は、 神々しいほどの 美しさだ。

   十分に その美を 誇ったのちは、 ハラハラと 舞いながら、  散りゆく。 

   これまた  風情ある 光景である。

   葉の 散ってしまった 樹々は、  自らの 落ち葉の フカフカ布団に

   くるまれて、  眠りに つく ・ ・ ・。


   名の由来は 仏教伝来後、 中国から、つまり異国より来た、「異朝の木」

   からとか、 貝原益軒の 「大和本草」にある 「一葉」からとか、 諸説あり。

   銀杏は、 短歌、俳句の 世界でも 人気が高く、 銀杏の花 ・ 銀杏黄葉

   銀杏散る ・ 銀杏の実 ・ 銀杏落葉 ・ と、 季語も多い。 

   銀杏散るを 季語の、 素敵な 二首を  紹介しよう。 


       相見しは  大き銀杏の  秋の岡

                金色(こんじき)ながす  ひかりの夕

                         与謝野 寛   ・   毒草


       金色の  ちひさき鳥の  かたちして

                銀杏ちるなり  岡の夕日に 

                         与謝野晶子   ・  恋ごろも


         ( 写真は   ゆふいん玉露米  2010.1121  より )

2010年11月25日木曜日

石蕗(つわぶき)


   俳諧では ”ツワ ” とともに、冬の季語である ” 石 蕗” が 咲き出した。

   光沢のある 濃い緑色の 厚みのある葉、 その 葉合いから 花茎を

   グンと伸ばし、 黄色の花を 何輪も 咲かせる。

   花の盛りには 山吹色となり、 野趣に富みながらも、豪華な 花姿となる。


   私のお気に入りの 石蕗の里は、 山陰の小京都といわれる  津和野。

   この町は 「つわぶきの 生い茂る 野」 を、 その名の ルーツにもつ。

   江戸時代よりの 城下町の町並みが 残っており 、武家屋敷、 白壁の

   土塀、 錦鯉の 泳ぐ小川 ・ ・ ・   静謐な 佇まいが 心地よい。

   津和野では  ” 石 蕗 ”の  清楚な 美しさが  際立って見える。


   もう一か所は  晩秋の 気配  漂う、  京都。

   北政所ゆかりの 高台寺 参道 入り口前の、  圓徳院。

   日没後の ライトアップに 照らされる 紅葉も  見事だが、
   ひっそりした 前庭の  苔むした 石畳の 両側に  咲く
 
   黄色の  ”石 蕗”  の 花に、 目を 奪われる。
 

   ここだけが ポッと 浮き上がって見え、 なんとも 艶めかしい 風情が

   立ちこめる。  高雅とも いうべき  気品が  溢れる。

   この時期、 東山を 訪れる  楽しみの  ひとつだ。

2010年11月19日金曜日

吾亦紅(われもこう)


   ” 吾も  また  紅(あか)  なりと  ひそやかに ”

                              高浜 虚子


   ” われもこう ”  なんて  詩的で  素敵な   ネーミングだろうか。

   野を渡る風に  ゆらゆら  揺れる  吾亦紅が  目に浮かぶ。

   ワインレッドの  花に  トンボが  止まっている。

   風が吹く度に  飛び立っては また 舞い戻る  この光景 ・ ・ ・

   花野の中で  一番  秋の 風情を 感じさせる  花だ。


   この魅力的な フレーズ ” われも また あかなりと ” に 出会ったのは

   忘れもしない 25年前、 深い 深い 闇の中で、 もがき 苦しんでいた時。

   ” われも また ・ ・ ・  ” と  何度  唱えたことだろう。

   ある時、 その闇から スポッと  抜け出せた、  いや、 飛び出せた。

   そして  いつも通り、   前を向いて  走り出せたのだ。


   あれから 25年、  還暦を すでに過ぎ、  体形は 重力の 法則で

   下~へ  下~へ  と  下がっていく。  目も  歯も  耳も   悪い。 

   髪は バラバラ、 まつ毛は パラパラ。  シワは  言わずもがな。

   ああ、 容貌は  日増しに  いや、  時増しに  衰える。

   「 整形するなら、シワは 寄るだけ 寄せてからが、 いいらしいわよ 」 と

   無責任に 宣う 友に 耳も貸さず、  背筋を 伸ばし (背が 縮んだ)

   あごを 上げ (下げると たるみが 目立つ)、 無駄に 思える  努力を

   重ねる 日々である。


   でも一生 ” 吾も また 紅 ” を 心の奥底に 秘めて 生きていきたい

     

   

   

2010年11月14日日曜日

白式部(しろしきぶ)


   小式部、 紫式部の 「 紫 の 玉 」 が たいそうな 持て囃されぶりとか。

   さて  さて、  私の 評判は  いかがなものかしら。

   私の 名は  ” 白 式 部 ”   「 白 の 玉 」 で  ございます。

   ええっ、  聞いたことがない と  申されますか。

   大きな 白玉は、  万葉集では 鮑玉、 海神が 手に持つ玉 と されて

   おり、 つまりは  真珠 (しらたま)は 宝として 愛しまれて おりました。

   小式部、 紫式部のように 文学の才は ないものの、 清楚な 美しさで

   当代随一。  白い玉が 光を放つ様は  神秘的な 魅力に 溢れている

   と、 賞讃されて  おりましたのに・ ・ ・ 。  

   まあ、 致し方 ございますまい。 時が あまりに 過ぎてしまいましたゆえ。

   それに 私の 気持ちは 

   万葉集 巻六   元興寺の僧(ほうし) の 歌、 そのものでございます。


       白玉は   人に 知らえず   知らずともよし

           知らずとも   我し 知れらば   知らずともよし


      ( 真珠は 人に 知られない。  知られなくてもいい。

           知られなくとも  自分さえ  価値を知っていれば

                          世の人は  知らなくてもいい )


   この 高い、 青い、 空に  照り映える  「 白 の 玉 」 の 美しいこと

   我ながら  ほれぼれと   酔いしれる 心地が  いたしまする。

2010年11月10日水曜日

紫式部(むらさきしきぶ)


    なんと なんと、 小式部が 私の悪口を 言っておると 申すか、

    さもあろう、  母親の  和泉式部の ことを 

    「 実にうまく 自然に 歌が 口に 出てくると 思われる 歌人

      ですよ。 気恥ずかしくなる 立派な 歌人とは 思えませぬ 」

                        (紫式部 日記  より 抜粋)

    と、 ついつい  筆が 滑ってしもうてのう。

    ライバルへの 嫉妬と 思われるのは 心外じゃが、 仕方ない。

    たった 六首しか 歌を 残していない 小式部など  私の子の

    はずが ないのに、 人の口には  戸は 立てられぬと みゆる。

    私は 言葉を 自由自在に 操り、 紡いで、 物語を作っておった。

    あの 道長様さえ  私の才に  魅かれ、  秘かに お通いに

    なられた・ ・ ・ ・   あら あら  また、口が、 滑ってしもうた。

    ” 母の 美貌を 受け継いで ・ ・ ・ とは  自分の 美しさを

    鼻に かけ、  小賢しい 言葉よのう。

    今の世なら  私は  [ 知性を秘めた、 凛とした 美しさ ] と

    形容 されたであろうに、 

    平安の御代は  [ あでやかで、 華やかが よし ] と されて

    おったのじゃ。  

    それだけが  返す返すも  残念で  ならぬ。


    あのう、   おたずね  申しますが、

    「 紫式部は それほど 小紫に 見劣りするので ございましょうか」

    あっ、 いや いや   私には  どうでも よいことで ございますが。

2010年11月5日金曜日

小紫(こむらさき)




   私が あまりに美しいゆえの ねたみからか、先ごろより 素性を


   とやかく申す輩が おりまして、 なにやら ” 紫式部 ” の 隠し子と


   まで  うわさされて おりまする。




   私の名は  ” 小 紫 ”


   平安の御代、 宮中には  才気煥発な 「 枕草子 」 の  清少納言、


   流麗な物語で、  皆を とりこにした  「 源氏物語 」 の  紫式部、


   そして  女流歌人として  抜きん出た  「 和泉式部日記 」 の 


   和泉式部 と、  綺羅  星のごとく   輝いて おりました。


   私の母は  恋多き 和泉式部でございます。 私の本名は ” 小式部内侍 ” 


   母と区別するため、 ” 小 紫 ” と 称していたので ございます。


   私は 母より 美貌とともに 歌の才能をも 受け継いだのでございます。


   少女時代は  淡紅の花で  優しげな  地味な子で  ございました。


   長ずるに したがって、 緑の玉となり、 薄ぶどう色~ 紫~ 本紫~ と


   まるで  [ 宝石箱 ]  と 賞される、  輝く、  美しき  [ 珠 ]  と


   なったので  ございます。


   残念なことに  27歳の若さで  この世を  おいとま したために 


   皆が  あわれに 思い、  せめてもの  よすがに、 この [ 珠 ] に


   ” 小 紫 ”  と  名付けたので ございましょう。




   百人一首に  納められた  私の 和歌を  詠んでいただき、


   いにしへの  姿を  偲んで  くださりませ。


          大江山  いく野の道の  遠ければ


                   まだ ふみも見ず  天の橋立




      *  続編 ” 紫 式部 ”  ご期待 下さいませ。